お絹を好きな先輩番頭為造に
主人公の亥之吉(18才)の生まれ池田は、今で言う「北摂地域」で、池田市になっているところ。 北摂の「摂」は、昔の「摂津の国」の摂である。 亥之吉の時代の池田は、見渡す限り田園が広がり、方々で農耕用の牛が「もーぅ」と鳴く、長閑な所謂(いわゆる)「田舎」だった
亥之吉は、その農家の三男坊。 田舎の長男以外は、男の子が居ない農家の養子になるか、町へ出て商家へ奉公するか、選択肢はあまり多くはなかった。 亥之吉は八歳で商家へ丁稚奉公し、十年務めて小番頭(新米番頭)になり、商家の三女お絹に見初められるが、男のような気性のお絹に押されっぱなしで、いま一つ亥之吉の中では惚れた、はれたに発展しない。、お絹を譲るために亥之吉はやくざに身を窶(やつ)し、縞の合羽に三度笠、手甲脚絆に草鞋までは用意したが、肝心の長脇差(長ドス)は持ちたくない。 亥之吉は、長ドスの代わりに、肥桶を担ぐ天秤棒を肩に担いで江戸へ旅立つ。 亥之吉は、天秤棒術(そんなものはない)では、日本一の使い手だと自負する。 ただ、大の苦手は、お化けである。 お店を辞めて旅にでるとき、亥之吉はお絹に箱根から引返すといわれた。 箱根八里は昼でも薄暗く、お化けがでると驚かされたのだ
さて、亥之吉は、江戸へ辿り着けるのか、一波乱も二波乱もありそうなおもろい旅である。
尚、この物語もまた、佐貫三太郎などに関わってくる>。
今書いている連続小説「佐貫三太郎」では、悪者として伊賀忍者が登場する。 悪者を伊賀忍者にしたのは、主人公の父、佐貫慶次郎が甲賀(こうか)の流れを汲む武士であるからで他意はない。
猫爺の子供の頃の忍者と言えば、両手の握りこぶしを合わせ、人差し指を立てて印を結び、口には巻物を銜えて「ドロン、ドロン」煙とともに姿を現す(または消える)。 巻物は、ただの免許皆伝の書ではなかったように思う。 盗まれて、命がけで取り返すストーリもあったので、余程大切な物だったのだろう。 忍術を皆伝された者だけに贈られる忍術の秘伝書であったかも知れない。 では、それを何故口に銜(くわ)えているか。 外科医が医学書を手術台の横に置いて手術に取り掛かるようなものだろう。 ドロン、ドロンは、歌舞伎で幽霊や忍者が出る時に太鼓を連打する、謂わばドラムロールのようなもの。
まとめてイメージすれば、術衣に着替えて、ドラムロールと共に自動ドアが開き、外科医が医学書を脇に抱えて手術台に向かうようなものだ。
「佐貫三太郎」第二十三回で、慶次郎と三太(三太郎の義弟)は、馬に乗って江戸へ向った。 足軽頭に殺人の罪を着せ、足軽頭の家族を皆殺しにした悪人の手がかりを得るためだ。 慶次郎と三太がまず向かおうとしている先は、慶次郎の実の息子三太郎が世話になった伊東松庵の診療所だ。 ここには、三太も身を置いていたところで、診療所の人達は、江戸の同心長坂清三郎や、目明し仙一の知り合いでもある。